大人気作品『呪術廻戦』の公式ファンブックが、一部の読者からひどいと評価されていることをご存知でしょうか。ファン待望の書籍でありながら、その内容を巡ってなぜ炎上し、読んだ人が痛いと感じたりストレスを抱えたりする事態になっているのか、多くのファンが疑問に思っています。ファンブックは、作品の世界をより深く知るための羅針盤となるべき存在ですが、時にその情報がファンの心に波紋を広げることがあるのです。
中には、本編における呪術廻戦の時系列がおかしいと感じる点や、呪術廻戦16巻の表紙が気持ち悪いといった作品全体への燻る不満が、ファンブックへの厳しい評価に繋がっていると考える人もいます。さらには、一連の出来事から呪術廻戦の作者が嫌いなのでは、というファンの愛情が裏返ったかのような辛辣な声まで見られます。
この記事では、そうした酷評がなぜ生まれるのか、その真相を具体的な批判点や心理的な背景を基に多角的に掘り下げていきます。単に情報をなぞるだけでなく、ファンがなぜそう感じるのかという深層心理にまで踏み込みます。また、続刊にあたる呪術廻戦ファンブック2への期待と不安の声にも触れながら、あらゆる角度から徹底的に解説します。
この記事でわかること
- ファンブックが「ひどい」と酷評される具体的な理由
- キャラクター設定や内容が炎上した背景
- 作品本編への不満がファンブックの評価に与える影響
- 作者に対する一部の批判的な意見の真相
呪術廻戦ファンブックがひどいと評価される理由
- 公式ファンブックの内容とは
- 呪術廻戦ファンブックが炎上した主な原因
- ファンがストレスを感じてしまう公式情報
- 読者が痛いと感じるキャラクター設定の紹介
- 呪術廻-戦ファンブック2へのファンの反応
公式ファンブックの内容とは
呪術廻戦の公式ファンブックは、一言で言えば、作品世界の解像度を飛躍的に高めるための「公式設定資料集」です。物語本編だけでは描ききれない膨大な情報を補完し、ファンがより深く物語に没入するための手助けとなる一冊です。その内容は多岐にわたりますが、主に「キャラクター情報」と「作者へのQ&A」という二つの大きな柱で構成されています。
キャラクタープロフィールの詳細な網羅
ファンブックの最大の魅力は、なんといっても登場キャラクターたちの詳細なプロフィールです。単行本のおまけページなどで断片的に明かされることはあっても、これほど体系的にまとめられるのはファンブックならではと言えます。
身長、体重、誕生日、血液型といった基本的なデータはもちろんのこと、彼らのパーソナリティを形成する上で重要な要素が惜しみなく公開されています。例えば、各キャラクターの術式について、本編では語られない詳細な仕組みや応用技、さらにはその術式に目覚めた経緯などが解説されています。また、呪術高専での等級や任務履歴、得意な科目や苦手な科目といった学園生活を彷彿とさせる情報も含まれており、キャラクターたちの日常をより鮮明に想像させます。
さらに、趣味や特技、好きな食べ物や嫌いな食べ物、休日の過ごし方といったプライベートな情報も豊富です。こうした情報は、キャラクターの人間的な側面を浮き彫りにし、ファンに新たな親近感を抱かせるきっかけとなります。言ってしまえば、彼らが呪術師という過酷な職業人である以前に、一人の人間としての顔を持っていることを再認識させてくれるのです。
作者Q&Aコーナーの魅力とリスク
もう一つの大きな柱が、作者である芥見下々先生自らがファンの質問に答えるQ&Aコーナーです。ファンから寄せられた多種多様な質問に対し、作者が直接回答を与えるこの企画は、ファンブックの目玉と言っても過言ではありません。
質問の内容は、「あのキャラクターが好きなテレビ番組は?」「この二人の出会いは?」といった微笑ましいものから、「この術式の本当の狙いは何か?」「あのセリフに隠された真意は?」といった物語の核心に迫るものまで様々です。これらに対する作者の回答は、時にファンの長年の疑問を氷解させ、時に全く予想だにしなかった新事実を提示します。これによって、物語の未回収の伏線が補完されたり、キャラクターの行動原理がより明確になったりするため、ファンは物語を再読する際の新たな視点を得ることができるのです。
しかし、この「公式からの回答」は、諸刃の剣でもあります。ファンが長年温めてきた考察やキャラクター像が、たった一つの回答によって根底から覆される危険性をはらんでいるからです。ファンは作品をただ受動的に享受するだけでなく、行間を読み、自分なりの解釈を育てることで作品世界を豊かにしていきます。この能動的な楽しみ方が、公式からの絶対的な情報によって阻害されたと感じた時、ファンブックは魅力的な資料から、自らの楽しみを奪う存在へと変貌しかねないのです。
このように、ファンブックは作品理解を深めるための貴重な情報源であると同時に、ファンの繊細な解釈や愛情と衝突する可能性を秘めた、非常にデリケートな書籍であると言えます。
呪術廻戦ファンブックが炎上した主な原因
呪術廻戦ファンブックが一部で「炎上」とまで言われるほどの批判を浴びた背景には、単なる情報の好悪を超えた、根深い要因が存在します。その中心にあるのは、やはり作者のQ&Aコーナーで明かされた情報と、その伝え方に対する一部ファンの強い反発です。
ファンの期待を裏切る回答内容
炎上の最も直接的な原因は、Q&Aで明かされた公式設定が、多くのファンの期待や解釈と大きく異なっていた点にあります。ファンは、キャラクターの幸せを願い、彼らの格好良い側面を信じたいと思っています。しかし、作者からの回答が、キャラクターの品位を貶めるように感じられたり、彼らの行動を無意味なものにしてしまったり、あるいは救いのない未来を確定させたりするような内容だった場合、ファンは裏切られたと感じてしまいます。
例えば、あるキャラクターの崇高に見えた行動の動機が、実は非常に利己的で些細なものであったと明かされたとします。この場合、そのキャラクターに感情移入し、その行動に感動していたファンほど、梯子を外されたような強い失望感を抱くでしょう。また、ファンコミュニティ内で長らく議論され、ほぼ定説となっていた人気の考察が、作者の一言であっさりと否定されるケースも同様です。それは、ファンが作品と共に築き上げてきた時間や情熱がないがしろにされたかのような感覚を与え、大きな反発を招きます。
作者の回答スタイルへの不信感
内容そのものに加えて、作者の回答スタイルが炎上を加速させた側面も否定できません。芥見先生は、時にシニカルで、独特のユーモアを交えた回答をすることで知られています。そのスタイルは、一部のファンには「面白い」「先生らしい」と好意的に受け入れられますが、全てのファンがそうではありません。
文面だけのコミュニケーションでは、ニュアンスが正確に伝わりにくいため、ユーモアが単なる皮肉や冷笑として受け取られたり、ファンからの真剣な質問をはぐらかしている、あるいは馬鹿にしているかのように感じられたりすることがあります。特に、キャラクターの生死や尊厳に関わるようなデリケートな質問に対して、突き放したような、あるいは軽々しいトーンの回答があった場合、ファンは「作者はキャラクターやファンへの愛情がないのではないか」という不信感を募らせてしまうのです。
言ってしまえば、ファンブックは作者とファンとの対話の場でもあります。その対話において、相手への敬意が感じられないと受け取られてしまえば、どれだけ貴重な情報が開示されようとも、ファンは心を閉ざしてしまいます。愛情が深いからこそ、その裏返しとしての怒りや失望も大きくなり、それが「炎上」という形で可視化されるのです。
ファンがストレスを感じてしまう公式情報
ファンブックで明かされる公式情報は、時にファンの心に重いストレスとしてのしかかることがあります。これは単に情報が気に入らないというレベルの話ではなく、ファンが作品と築き上げてきた関係性そのものを揺るがしかねない、より深刻な問題です。
「解釈違い」がもたらす自己肯定感の揺らぎ
ファンが抱くストレスの根源には、やはり「解釈違い」の問題があります。ファン活動の醍醐味の一つは、作品の描写からキャラクターの心情や背景を能動的に読み解き、自分だけのキャラクター像を構築していくプロセスにあります。多くのファンは、この「自分の解釈」に愛着と、ある種の自負を持っています。
しかし、ファンブックで提示された公式設定が、その自分の解釈と真っ向から対立した場合、ファンは大きな精神的ダメージを受けます。それは、「自分の好きだったキャラクターは、本当はこんな人間だったのか」という直接的な失望感だけにとどまりません。「これまで自分は何を読み取ってきたのだろう」「自分の読解力は間違っていたのか」という、自己の感性や読解力に対する自信の喪失、すなわち自己肯定感の揺らぎにまで発展することがあります。
この感覚は、長年作品を愛し、深く読み込んできたファンほど深刻です。彼らにとって作品の解釈は、自己表現の一部でもあります。それが公式によって否定されることは、自分自身の一部を否定されたかのような痛みとストレスを伴うのです。
救いのない設定がもたらす精神的疲弊
『呪術廻戦』という作品は、ダークファンタジーのジャンルに属し、その魅力の一つに「救いのなさ」や「やるせなさ」があります。理不尽な死や、報われることのない努力は、物語に深みとリアリティを与え、読者を引き込む要素となっています。
しかし、この「救いのなさ」も、加減が大切です。本編の展開として受け入れることはできても、ファンブックで改めて「このキャラクターが幸せになることは未来永劫ない」「彼の努力は結局のところ無駄だった」といった事実が、作者の言葉として確定的に示されてしまうと、読者は精神的に疲弊してしまいます。物語に一縷の望みを託し、キャラクターの未来に光を見出そうとしていたファンにとって、その望みを完全に断ち切られることは、大きなストレス以外の何物でもありません。
特に、ファンブックは物語から一歩引いた、いわば神の視点から情報が提示される場です。そのため、本編のような物語の勢いや臨場感がない分、冷徹な事実だけがダイレクトに心に突き刺さります。キャラクターへの共感が強いファンほど、その痛みは大きく、作品を楽しむ気力すら削がれてしまうことがあるのです。
読者が痛いと感じるキャラクター設定の紹介
ファンブックに対する批判の中には、「内容が痛い」という、やや抽象的ながらも根強い意見が存在します。この「痛い」という感覚は、主にキャラクターのイメージが崩壊することへの抵抗感や、公式が提示する設定そのものに対する一種の気恥ずかしさから生じる、複合的な感情です。
「キャラ崩壊」と「新たな魅力」の境界線
「痛い」と感じられる設定の多くは、本編でのシリアスなイメージと、ファンブックで明かされるコミカルあるいはプライベートな情報との間に、大きなギャップが存在する場合に生まれます。例えば、常に冷静沈着でクールなキャラクターが、実はアイドルの熱狂的なファンで、部屋にポスターを貼っている、といった設定が明かされたとします。
これを「意外な一面で可愛い」「ギャップ萌えだ」と好意的に受け取るファンもいるでしょう。しかし一方で、「キャラクターのカリスマ性が台無しだ」「安直なキャラ付けでがっかりした」「見ていてこっちが恥ずかしくなる」と感じるファンも確実に存在します。後者が、いわゆる「痛い」と感じる層です。
この感じ方の違いは、キャラクターに何を求めているかの違いに起因します。キャラクターに完璧な格好良さや、手の届かない神秘性を求めているファンにとって、あまりに人間臭い、あるいは俗っぽい設定は、神聖な領域を土足で踏み荒らされたかのような不快感(=痛み)を伴うのです。「キャラ崩壊」と「新たな魅力の発見」は紙一重であり、その境界線はファンの価値観によって大きく変動します。ファンブックは、そのデリケートな境界線を、時に無配慮に越えてしまうことがあるのです。
関係性の「蛇足」な設定
キャラクター単体の設定だけでなく、キャラクター同士の関係性について、本編の描写からは読み取れなかった、あるいは蛇足に感じられる情報が後付けされることも、「痛い」と評される原因になります。
本編では、緊張感のあるライバル関係や、言葉少なながらも信頼で結ばれた師弟関係など、読者の想像力を掻き立てる絶妙な距離感で関係性が描かれています。ファンは、その行間から彼らの絆の形を読み解くことに楽しみを見出します。
しかし、ファンブックで「実は二人は幼馴染で、昔こんなあだ名で呼び合っていた」「この二人は休日に一緒に買い物に行く仲だ」といった、急に親密さを増すような、あるいは陳腐に感じられる設定が追加された場合、どうでしょうか。本編の緊張感や奥深さが、途端に薄っぺらいものに感じられてしまう危険性があります。読者が丁寧に紡ぎ上げてきた関係性の解釈が、公式からの安易な「後付け」によって上書きされることへの拒否反応が、「痛い」という言葉で表現されるのです。
呪術廻戦ファンブック2へのファンの反応
第1弾のファンブックが巻き起こした賛否両論の嵐は、当然ながら、続刊にあたる「呪術廻戦 公式ファンブック 第2弾(仮)」へのファンの視線にも大きな影響を与えています。その反応は、まさに期待と不安が複雑に絡み合った、一筋縄ではいかないものとなっています。
続刊に寄せられる切実な「期待」
まず期待する声としては、物語が完結に向かう中で、ついに解き明かされなかった数多くの謎や伏線について、公式からの補完を求める切実な願いがあります。第1弾の刊行以降、物語はさらに複雑化し、新たな謎も次々と提示されました。
具体的には、主人公・虎杖悠仁の出自や両親の謎、史上最強の呪いの王・両面宿儺の過去や真の目的、物語の黒幕である羂索の長きにわたる計画の全貌など、物語の根幹をなす部分に多くの未解明な点が残されています。ファンとしては、これらの核心的な情報を、憶測や考察ではなく、「公式」の確定情報として知りたいという強い欲求があります。「本編で描ききれなかったのなら、せめてファンブックで答えを教えてほしい」というのは、多くのファンに共通する願いでしょう。
また、渋谷事変や死滅回遊といった過酷な戦いを生き抜いた(あるいは散っていった)キャラクターたちの、語られざる心情や後日談を求める声も大きいです。彼らが何を思い、何を目指していたのか、その断片だけでも知ることで、物語への理解をさらに深めたいと考えているのです。
拭いきれない「不安」と「警戒心」
一方で、第1弾での「炎上」や「解釈違い」の経験は、ファンの心に深い傷跡と、拭いきれない不安を残しました。続刊に対しても、「またキャラクターのイメージが壊されるのではないか」「自分の好きなキャラクターが、さらに不幸になるような設定が明かされるのではないか」といった強い警戒心を抱くファンは少なくありません。
特に、再び物議を醸す可能性のある作者のQ&Aコーナーに対しては、その形式自体を見直してほしいという声すらあります。ファンが求めているのは、作者の個人的な見解やユーモアではなく、あくまで作品世界を補完するための客観的で誠実な情報です。そのため、作者の言葉が再びファンの神経を逆撫でするような事態になることを、多くのファンが恐れています。
さらに、「物語の核心に触れる重要な謎は、ファンブックのような補足資料ではなく、物語本編の中でしっかりと描いてほしかった」という、より根本的な不満を抱く層も存在します。彼らにとって、重要な謎の答えがファンブックで明かされることは、物語体験の価値を損なう行為と映るのです。
このように、ファンブック第2弾は、ファンの渇望とトラウマという、相反する感情の狭間で、その在り方を問われていると言えるでしょう。
なぜ呪術廻戦ファンブックはひどいと酷評か
- 本編で呪術廻戦の時系列がおかしいとの指摘
- 一部で呪術廻戦の作者が嫌いと言われる背景
- 呪術廻戦16巻の表紙が気持ち悪いとの声も
- 作品全体への不満がファンブックにも影響か
- 総括:呪術廻戦ファンブックがひどい評判の真相
本編で呪術廻戦の時系列がおかしいとの指摘
ファンブックへの厳しい評価を正しく理解するためには、その土台となっている作品本編、特に物語の構成に向けられている一部の批判的な視点を避けて通ることはできません。その代表格が、「呪術廻戦の時系列がおかしいのではないか」という指摘です。
物語が進行し、登場人物や舞台が複雑に絡み合うにつれて、一部の読者から出来事の前後関係や時間経過に矛盾を感じるという声が上がるようになりました。これは、単純な読み間違いや勘違いというレベルではなく、複数の読者が具体的な箇所を挙げて論理的な矛盾を指摘するケースが散見されます。
特に、多くのキャラクターが複数の場所で同時多発的に戦闘を繰り広げた「渋谷事変」編では、その傾向が顕著でした。「A地点で戦っていたはずのキャラクターが、次の場面では時間的に不可能なはずのB地点に移動している」「CとDの戦闘が同時に進行しているはずなのに、経過時間にズレが生じている」といった具合です。また、その後の「死滅回遊」編でも、複雑なルールと結界の移動が絡み合い、キャラクターたちの行動のタイムラインを正確に追うのが困難である、という意見が見られました。
もちろん、これらは週刊連載というタイトなスケジュールの中で発生した些細なミスである可能性や、読者の深読みが生んだ誤解である可能性も十分にあります。しかし、物語への没入感を重視する読者にとって、こうした時系列の綻びは、物語のリアリティを削ぎ、作品世界への信頼を揺るがす要因となります。
そして、この本編の構造に対する不信感は、ファンブックの評価へと直接的にスライドします。本編の時点で時系列に疑問符がついている状況で、ファンブックで新たな設定が明かされても、「それは本編の矛盾を後付けで修正するための設定ではないか」「そもそも信頼できる情報なのか」という、疑いのフィルターを通して見られてしまうのです。土台が揺らいでいれば、その上に建てられた建造物もまた、不安定に見えてしまうのは当然のことでしょう。
一部で呪術廻戦の作者が嫌いと言われる背景
ファンの声の中には、「呪術廻戦の作者が嫌い」という、作品そのものではなく作り手個人に向けられた、非常にストレートで強い拒絶の言葉が見られます。これは、単なる個人の好悪を超えた、作品との関わり方の中で生まれた複雑な感情の表れです。
容赦のない展開とファンの愛情
その最も大きな理由として考えられるのは、前述もしましたが、物語における登場人物の容赦のない扱いです。呪術廻戦の世界では、キャラクターの死は日常茶飯事です。しかし、問題はその描き方にあります。ファンから絶大な人気を誇るキャラクターが、物語の展開上、何の予兆もなく、あるいは非常に無慈悲で救いのない形で命を落とすことが少なくありません。
ファンにとってキャラクターは、単なる物語の駒ではありません。時間と感情を投資し、その成長や活躍を応援してきた、いわば家族や友人のような存在です。その大切な存在が、作者の手によってあっけなく、そして時には尊厳を傷つけられるような形で退場させられた時、ファンは深い喪失感と同時に、作者に対する強い怒りや憎しみを抱くことがあります。「なぜこんな酷いことをするのか」「ファンの気持ちが分からないのか」というやり場のない感情が、やがて「作者が嫌い」という結論に結びついてしまうのです。これは、愛情が深いほど、裏切られたと感じた時の反動が大きくなるという、愛憎の典型的なパターンと言えます。
作者像とファンの距離感
芥見先生自身のメディアへの露出が極端に少なく、そのパーソナリティが謎に包まれていることも、一部のファンに不信感を抱かせる一因となっています。人間は、相手の顔が見えない、何を考えているか分からない存在に対して、不安や警戒心を抱きやすいものです。
ファンブックのQ&Aなどで見られる独特の言語センスやシニカルな態度は、作者の素顔を知らないファンにとっては、そのミステリアスなイメージをさらに強化し、「ファンとコミュニケーションを取る気がないのではないか」「どこか冷たい人間なのではないか」というネガティブな憶測を呼んでしまいます。
もし、作者がもっと積極的にファンとの対話の場を持ち、その人柄や作品への想いを伝える機会が多ければ、たとえ厳しい展開を描いたとしても、「先生も苦渋の決断だったのだろう」「作品のために必要な犠牲だったのだ」と、ファンも納得しやすかったかもしれません。しかし、作者との間に心理的な距離があるために、その真意が伝わらず、あらゆる行動が悪い方向に解釈され、「嫌い」という感情を育む土壌となってしまっているのです。
呪術廻戦16巻の表紙が気持ち悪いとの声も
ファンブックへの批判を考察する際、一見すると無関係に思える「呪術廻戦16巻の表紙が気持ち悪い」という意見も、実は無視できない重要な要素です。これは、作品から発せられる情報や表現が、ファンの感性とどのように相互作用しているかを示す象徴的な事例だからです。
問題となった16巻の表紙には、作中に登場するあるキャラクターが、特徴的な構図で描かれています。このデザインに対して、一部の読者から「グロテスクだ」「生理的に受け付けない」「不気味で怖い」といった、強い拒否反応が示されました。もちろん、これはあくまで一部の意見であり、「作品の世界観に合っている」「アーティスティックで素晴らしい」と評価する声も多数存在します。
重要なのは、ここで評価が真っ二つに割れたという事実です。ダークファンタジーというジャンルにおいて、グロテスクさや不気味さは、作品の魅力を構成する重要なスパイスです。しかし、そのスパイスの匙加減が、読者の許容できる範囲をわずかでも超えてしまうと、それは「魅力」から「不快感」へと瞬時に転化します。16巻の表紙は、そのデリケートな境界線を多くの読者に意識させる出来事でした。
この一件は、ファンブックへの評価にも間接的な影響を及ぼします。日頃から、作品のこうした「攻めた」表現に対して、違和感や不快感を覚えていた読者層が存在することを示唆しているからです。彼らにとって、ファンブックの内容が少しでも自分の感性に合わないものであった場合、16巻の表紙で感じたのと同じような拒否反応が、より強く引き起こされる可能性があります。「この作者のセンスは、やはり自分とは合わない」という確信が、ファンブックへの批判的な評価となって表出するのです。
作品全体への不満がファンブックにも影響か
以上の点を総合的に考察すると、呪術廻戦ファンブックが「ひどい」と酷評される根本的な原因は、ファンブックという書籍単体の欠点にあるのではなく、作品全体に対して燻る一部ファンの不満やストレスが、ファンブックを触媒として噴出した結果である、という仮説が浮かび上がります。
不満の「サンドバッグ」としてのファンブック
物語がクライマックスに近づくにつれて、呪術廻戦の展開はより複雑で、苛烈なものになりました。回収されないままの伏線、説明不足に感じられる設定、そして何よりも、人気キャラクターの相次ぐ衝撃的な退場。これらの要素は、物語を盛り上げる一方で、多くの読者に少なからぬ不満や精神的なストレスを蓄積させていきました。
このような心理状態でファンブックを手に取った場合、読者はどのような反応を示すでしょうか。彼らは、無意識のうちに「本編で溜まった不満を解消してくれる何か」を期待しているかもしれません。しかし、ファンブックがその期待に応えられなかった、あるいは逆に新たな不満の種を提供してしまった場合、蓄積されたストレスは行き場を失い、最も手近な対象であるファンブックへと向けられます。
つまり、ファンブックが、本編に対する様々な不満をぶつけるための、格好の「サンドバッグ」になってしまっているという側面があるのです。本編の展開に直接文句を言うのは野暮だと感じていても、補足資料であるファンブックに対してであれば、批判のハードルは下がります。「このファンブックの内容はひどい」という言葉の裏には、「最近の呪術廻戦の展開そのものが受け入れがたい」という、より大きく、根深い本音の感情が隠されている可能性があるのです。
フィルター越しの評価
したがって、ファンブックへの評価を額面通りに受け取ることは、必ずしも本質を捉えているとは言えません。多くの批判は、「作品全体への不満」という強力な色眼鏡、すなわちフィルターを通してなされていると考えられます。そのフィルターを通すと、通常であれば些細な問題として流されるようなキャラクター設定も、許しがたい「キャラ崩壊」として映り、作者のウィットに富んだ回答も、ファンを愚弄する「不誠実な態度」として認識されてしまうのです。
この構造を理解しない限り、なぜこれほどまでにファンブックの評価が割れるのか、その本質を見誤ることになります。ファンブックの酷評は、作品が多くのファンに深く愛され、その展開一つ一つがファンの心に大きな影響を与えていることの、何よりの証左であるとも言えるのかもしれません。
総括:呪術廻戦ファンブックがひどい評判の真相
この記事で解説してきた内容をまとめると、呪術廻戦ファンブックが「ひどい」と言われる評判の真相は、以下のような複数の要因が複雑に絡み合った結果であると考えられます。
- ファンブックはキャラクターの詳細なプロフィールや設定を網羅している
- 作者へのQ&Aコーナーで本編の謎が補完されることがある
- 情報が詳細すぎるため読者それぞれが育んだ解釈と食い違う場合がある
- 長年の解釈が公式に否定されることはファンに強いストレスを与える
- 作者のQ&Aでの回答がファンの期待を裏切り炎上の一因となった
- 作者の独特な表現が冷たい印象を与え不信感につながることがある
- キャラクターのイメージを損なう情報に「痛い」と感じる読者もいる
- 本編のシリアスな雰囲気とファンブックでの設定のギャップが批判を招いた
- 続刊のファンブック2には未回収の伏線解説への期待と過去のトラウマによる不安が入り混じる
- 本編の時系列に矛盾を感じるという指摘が作品への不信感を生んでいる
- 容赦のないキャラクターの扱いが作者個人への強い批判につながることがある
- 単行本16巻の表紙など作品の表現方法自体に一部ファンが不快感を抱いている
- 作品全体への不満というフィルターを通してファンブックが評価されている
- ファンブックが本編で溜まったファンのストレスや不満のはけ口にされている側面がある
- 評判の真相は書籍単体の問題ではなく作品全体の評価と複雑に連動している