社会現象を巻き起こした大人気作品『呪術廻戦』。その魅力的な世界観と手に汗握る展開に多くのファンが熱狂する一方で、インターネット上、特になんjなどの匿名掲示板では、「呪術廻戦のオマージュが多すぎではないか」という声が絶えず上がっています。
時には「呪術廻戦はパクリだらけだ」という辛辣な言葉で語られ、その類似点の多さから作品自体が嫌いになってしまったという感想さえ見受けられます。この記事にたどり着いたあなたも、そうした声に触れ、真偽のほどやその背景にあるものを知りたいと感じているのではないでしょうか。
本記事では、そうした疑問やモヤモヤに真摯に向き合います。噂されている呪術廻戦のパクリやオマージュの一覧とされる情報を、具体的な比較を交えながら網羅的に解説します。さらに、作者が公認しているとされるエヴァのオマージュや、一部で囁かれるボーボボからの影響といったユニークな説にも光を当て、最終的には「呪術廻戦のパクリはなぜ許されるのか」という、多くの人が抱く核心的な問いについて、多角的な視点から深く考察していきます。単なる疑惑の列挙に終わらせず、作品をより深く理解し、楽しむための一助となることを目指します。
この記事で分かること
- ネットで囁かれる「パクリ疑惑」の具体的な元ネタと詳細な比較
- 作者が公式に認めているオマージュ作品とその背景
- なぜ「パクリ」と言われながらも大きな問題にならないのかという多角的な考察
- オマージュや類似表現に対するファンや同業者の様々な意見や反応
呪術廻戦のオマージュが多すぎと言われる背景
- ネットで囁かれる呪術廻戦パクリだらけ説
- 呪術廻戦のオマージュはなんjでも話題に
- 呪術廻戦のオマージュ一覧を画像で紹介
- こちらが呪術廻戦のパクリ一覧とされるもの
- 公認の呪術廻戦オマージュはエヴァが有名
- 呪術廻戦オマージュにボーボボもある?
ネットで囁かれる呪術廻戦パクリだらけ説
『呪術廻戦』が国民的な人気を獲得するのと並行して、インターネットの海では「パクリだらけ」という、作品のオリジナリティを問う声が急速に広がりました。この言葉は非常に強い響きを持ちますが、その背景には様々なニュアンスが存在します。
一つは、作品に批判的な立場の人々が使う、いわゆる「アンチ」によるレッテル貼りの側面です。しかし、それだけではなく、長年の漫画ファンや、元ネタとされる作品を愛する読者が、純粋な疑問や懸念として「あまりにも似すぎているのではないか」と声を上げるケースも少なくありません。
特にX(旧Twitter)などのSNSでは、疑惑のシーンのスクリーンショットを並べて比較する投稿が頻繁に行われ、ハッシュタグと共に拡散されることで、多くの人々の目に触れることになりました。こうしたビジュアルでの直接的な比較は、説得力を持って受け止められやすく、議論を加速させる大きな要因となっています。
ただし、これらの指摘の大部分は、あくまで読者個人の主観的な「気づき」や推測に基づいているという点は、議論の大前提として理解しておくことが不可欠です。作者である芥見下々先生が公式に言及していない限り、それを「パクリ」と断定することは誰にもできません。この記事では、そうしたネット上の声を真摯に受け止めつつも、断定的な表現は避け、「比較」という形で客観的な情報提供に努めます。
呪術廻戦のオマージュはなんjでも話題に
『呪術廻戦』に関するオマージュやパクリの議論が、特に熱を帯びて交わされている場所の一つが、「なんj(なんでも実況J)」に代表される匿名掲示板です。こうした場所では、日々新たなスレッドが立ち、多くのユーザーが参加して、さながら集団的な「元ネタ探しゲーム」のような様相を呈しています。
匿名掲示板の文化の特徴は、その情報の奔流と検証のスピードにあります。誰かが「このシーン、あの漫画に似てないか?」と画像を投稿すると、すぐさま他のユーザーが賛同したり、反論したり、あるいは全く別の作品からの影響を指摘したりと、議論が連鎖的に展開していきます。このプロセスを通じて、当初は誰も気づかなかったような細かな類似点までが掘り起こされていくのです。
もちろん、そこでの議論は玉石混交です。匿名であることから無責任で過激な物言いも目立ちますが、中には非常に鋭い洞察力で作品を分析し、建設的な意見を述べるユーザーも存在します。このように、ある種のお祭りのような熱気と、真剣な作品分析が混在するカオスな空間が、結果として『呪術廻戦』のオマージュ疑惑を世に広める巨大な発信源の一つとなっていることは間違いないでしょう。
呪術廻戦のオマージュ一覧を画像で紹介
それでは、具体的にどのような作品がオマージュの元ネタとして挙げられているのでしょうか。ここでは、特に作者自身がファンを公言しており、指摘の声も多い『BLEACH』と『HUNTER×HUNTER』との類似点を詳しく見ていきましょう。
多大な影響が見られる『BLEACH』
芥見先生が学生時代からの大ファンであると公言している『BLEACH』。その影響は、作品の随所に色濃く反映されていると指摘されています。
まず、虎杖悠仁が夏油傑の攻撃で重傷を負うシーンです。腹部に致命的な一撃を受け、うつ伏せに倒れるその姿は、『BLEACH』で主人公の黒崎一護が朽木白哉の「千本桜」によって深手を負った場面の構図と酷似していると話題になりました。「キャラクターが重傷を負うシーンは漫画の定番だ」という反論もありますが、ダメージを受けた部位、血の広がり方、そしてキャラクターが感じる絶望的な雰囲気までが重なって見えるため、単なる偶然とは片付けられないと感じる読者が多いようです。
次に、禪院真依と砕蜂の告白シーンです。呪術廻戦で真依が双子の姉・真希に対して複雑な胸中を吐露する場面は、BLEACHで砕蜂がかつての師である四楓院夜一に憧憬と嫉妬の入り混じった感情をぶつけるシーンと、シチュエーションやキャラクターの感情の機微が非常によく似ています。敬愛する相手だからこそ抱いてしまう劣等感や独占欲といった、繊細で感動的な場面の雰囲気が似通っているため、より強く印象に残る類似点として語られています。
さらに、キャラクターデザインにおいても、呪詛師・粟坂二良とBLEACHの兵主部一兵衛の容姿の類似が指摘されます。禿頭に豊かな顎髭、大柄な体格という特徴が共通しており、一目でその類似性に気づく人も少なくありません。両者とも物語の本筋に常に絡むわけではありませんが、登場時にその特異なビジュアルと能力で強いインパクトを残す点も共通しています。
設定や構図に共通点が多い『HUNTER×HUNTER』
『HUNTER×HUNTER』もまた、芥見先生が多大な影響を受けた公言している作品です。こちらでは、作品の世界観の根幹をなす設定レベルでの類似点が注目されます。
最も代表的なのが、**呪術における「縛り」と『HUNTER×HUNTER』の「誓約と制約」**です。自らに何らかの制約(リスク)を課すことで、能力を飛躍的に向上させるという基本コンセプトが全く同じです。これは能力バトル漫画において非常に画期的な設定であったため、後発の『呪術廻戦』が同様のシステムを採用したことに、既視感を覚える声が多く上がりました。
個別のシーンでは、虎杖悠仁とゴン=フリークスの怒りの一撃の構図が挙げられます。虎杖が呪霊を殴りつける見開きのページは、ゴンがゲンスルーを殴り飛ばしたシーンの迫力やカメラアングルとよく似ています。キャラクターの感情が爆発する重要な場面であるだけに、その表現方法の類似は読者の記憶に残りやすいものとなっています。
また、七海建人とクロロ=ルシルフルの単行本表紙も有名な類似点です。両作品のコミックス11巻の表紙で、七海とクロロが共に顔に手を当てるという、全く同じポーズを取っています。巻数まで揃えていることから、これは芥見先生による冨樫義博先生への意図的なリスペクト(オマージュ)ではないか、とファンの間では好意的に解釈されています。
こちらが呪術廻戦のパクリ一覧とされるもの
「オマージュ」や「リスペクト」といった好意的な解釈の範囲を超え、より踏み込んだ「パクリ」という強い言葉で非難されるケースも少なくありません。ここでは、そうした指摘がなされている他の作品との類似点を見ていきます。
『幽遊白書』との戦闘描写の類似
『HUNTER×HUNTER』と同じく冨樫義博先生の代表作である『幽遊白書』からも、複数の類似点が指摘されています。特に戦闘シーンの描写にその傾向が見られます。
例えば、禪院扇が禪院真希に顔面を縦に斬られるシーンは、『幽遊白書』の暗黒武術会編で、剣士・時雨が飛影によって同じように顔を斬られる場面と構図が極めて似ています。斬撃の軌道、見開きの使い方、そして一瞬で勝負が決する様は、多くの読者に既視感を抱かせました。
また、敵キャラクターの非道な挑発方法にも共通点が見られます。呪術廻戦の真人(まひと)が、虎杖の目の前で吉野順平を無惨な姿に変えてみせるシーンは、『幽遊白書』の戸愚呂(兄)が、桑原の目の前で彼の剣を体内で弄び精神的に追い詰めるシーンと、そのシチュエーションや悪趣味さが酷似しています。「主人公の大切な存在を残酷な方法で利用し、精神を破壊しにくる」という敵の行動原理が重なります。
様々な作品からの影響
他にも、様々な作品からの影響が指摘されています。
- 『NARUTO -ナルト-』: 「五条悟」と「はたけカカシ」(目隠し、最強の師匠というポジション)、「虎杖悠仁と両面宿儺」と「うずまきナルトと九尾」(主人公の内に怪物を宿す設定)、そして「男性2人、女性1人のスリーマンセル(3人組)」というチーム構成など、キャラクター設定や物語の基本構造に多くの共通点が見られます。
- 『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』: 呪詛師・与幸吉の全身を包帯で覆った姿は、本作の最も有名な敵役・志々雄真実のビジュアルと重なります。両者とも大火傷を負ったという背景設定まで共通していますが、キャラクターの思想や目的は全く異なります。
- 『バガボンド』: 虎杖悠仁が極度の集中状態に入った際に無意識に涎を垂らす描写は、宮本武蔵が同様の境地に至ったシーンの表現とよく似ています。精神の極致を物理的な現象で表現する手法の類似です。
- 『バキ』シリーズ: 伏黒甚爾が鎖鎌のような武器を縦横無尽に振り回す戦闘スタイルは、『バキ』に登場する柳龍光の戦い方を彷彿とさせると言われています。武器の軌道や、死角のない攻防一体の動きの描写に共通点が見出されています。
- ホラー漫画からの影響: 伊藤潤二先生の『うずまき』から夏油傑の技「うずまき」が、中山昌亮先生の『不安の種』から呪霊のデザインが、それぞれインスピレーションを得ているのではないかという指摘もあります。
これらの点は、個々に見れば些細なものかもしれませんが、数が重なることで「パクリだらけ」という印象を一部の読者に与える原因となっています。
公認の呪術廻戦オマージュはエヴァが有名
数多く存在する類似点の指摘の中で、パクリ疑惑とは明確に一線を画し、制作者側が意図した「公認のオマージュ」として広く知られているのが、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に関する描写です。これらは元ネタを知るファンへの遊び心やサービスとして提供されています。
最も有名な例は、TVアニメ版『呪術廻戦』のエンディング後に放送されたおまけコーナー「じゅじゅさんぽ」内での一コマです。作中で呪術高専の学長である夜蛾正道が、エヴァの特務機関NERV(ネルフ)の総司令・碇ゲンドウの象徴的なポーズ(両手を顔の前で組む)を完璧に真似てみせるシーンが描かれました。これは予告なく挿入されたため、多くの視聴者を驚かせ、SNSなどで大きな話題となりました。
また、原作において、与幸吉(メカ丸)が遠隔操作する巨大な人型呪骸「究極メカ丸」のデザインも、エヴァからの影響が公言されています。芥見先生は公式ファンブックの中で、このデザインが「エヴァンゲリオン初号機を参考にした」と明確にコメントしています。鋭角的なフォルムや細身ながら力強いシルエットは、確かに初号機を彷彿とさせます。
このように、制作者サイドが元ネタを明らかにし、遊び心として昇華させているケースも存在するため、全ての類似点を一括りにして批判するのは、作品の多層的な楽しみ方を見過ごすことになるかもしれません。
呪術廻戦オマージュにボーボボもある?
様々な有名バトル漫画やホラー漫画の名前が挙がる中、一部の熱心なファンの間では、全く毛色の異なる作品からの影響も囁かれています。それが、週刊少年ジャンプで伝説的な不条理ギャグ漫画として一時代を築いた『ボボボーボ・ボーボボ』です。
この説は、BLEACHやHUNTER×HUNTERのように、具体的な構図やセリフの一致を根拠とするものではありません。指摘されているのは、作品全体を貫く独特の「テンポ」や「ノリ」の類似性です。シリアスで命のやり取りをしている緊迫した戦闘シーンの最中に、脈絡なく突飛なギャグが挿入される展開。例えば、東堂葵の存在しない記憶や、高田ちゃんとのやり取りなどは、その典型例と言えるでしょう。
こうしたシリアスとギャグの境界線を破壊するような作風は、かつて『ボーボボ』が最も得意とした領域でした。読者の予測を裏切り、物語の定石を無視して突き進むその勢いに、両作品の通底するものを感じるファンがいるのです。
したがって、『ボーボボ』からの影響は、直接的な「オマージュ」というよりも、ジャンプ漫画という土壌で育まれた「表現のDNA」のようなものと捉えるのが適切かもしれません。それはパクリという概念とは全く異なる次元で、作家の感性に受け継がれていくものだと考えられます。
呪術廻戦はオマージュが多すぎ?様々な意見
- 呪術廻戦のパクリが嫌いと感じるファンの声
- 呪術廻戦のパクリがなぜ許されるのか考察
- 作者が公言する他作品へのリスペクト
- 他の漫画家から寄せられたコメント
- 総括:呪術廻戦のオマージュが多すぎ問題
呪術廻戦のパクリが嫌いと感じるファンの声
『呪術廻戦』で指摘される数々の類似表現は、全ての読者に好意的に受け入れられているわけではありません。特に、元ネタとされる作品群に対して深い愛情や思い出を持つファンの中には、強い不快感や嫌悪感を抱く人々も存在します。
彼らの感情は、「自分の愛する作品、大切な思い出が、軽々しく消費されているように感じる」「元ネタへのリスペクトが感じられない、安易な模倣だ」といった言葉で表現されます。単に「似ている」という事実だけでなく、その「似せ方」に誠意が感じられない場合に、こうした批判的な感情が生まれるようです。SNS上では、「呪術のあのシーンを見ると、元ネタの〇〇を思い出すけど、〇〇の方がキャラクターの葛藤が深かった」といった、比較によって元ネタの優位性を主張するような投稿も散見されます。
こうしたファンの声だけでなく、同じクリエイターの立場から苦言が呈されたケースもあります。前述の通り、漫画家の片岡人生先生は、夏油傑の技「うずまき」が、日本を代表するホラー漫画家・伊藤潤二先生の傑作『うずまき』を強く想起させる点について、SNS上で疑問を投げかけました。これは、単なる読者の感想ではなく、創作の倫理を知るプロの目から見ても、看過しがたいレベルの類似性だと判断された一例です。この件は、後に芥見先生側から伊藤先生に連絡があり、許諾を得る形で決着しましたが、発表当初は許諾がなかったことも事実です。
このように、読者、そして同業者の中から「パクリが嫌い」という声が上がることは、この問題を考える上で決して無視できない、重い事実と言えます。
呪術廻戦のパクリがなぜ許されるのか考察
これほど多くの類似点が指摘され、一部からは強い批判を受けながらも、なぜ『呪術廻戦』は社会現象とまで言われるほどの成功を収め、大きな問題に発展することなく連載が続いているのでしょうか。この「なぜ許されるのか」という問いに対しては、複数の複合的な要因から考察する必要があります。
文化的背景:参照と引用の時代性
現代の創作物は、多かれ少なかれ、過去の作品の膨大な蓄積の上に成り立っています。特に、インターネットによって誰もが瞬時に古今東西の作品情報にアクセスできるようになった現代では、全くのゼロから独創的なものを生み出すことは極めて困難です。音楽の世界におけるサンプリングやDJ文化のように、既存のフレーズを引用・再構築して新たな作品を生み出す手法が一般化したように、漫画においても過去作への参照や引用(オマージュ、パロディ)は、創作の一つのテクニックとして認識されつつあります。このような時代背景が、オマージュ表現への寛容さを生んでいる側面は否定できません。
商業的戦略としてのオマージュの機能
意図的なオマージュには、商業的なメリットも存在します。元ネタを知っている読者にとっては、それは「分かる人には分かる」というファンサービスとして機能し、作品への愛着を深める効果があります。また、「あのシーン、〇〇のパロディじゃない?」といった形でSNSでの口コミを誘発し、作品の話題性を高める効果も期待できます。計算されたオマージュは、無料でできる有効な宣伝戦略(バイラルマーケティング)にもなり得るのです。
ジャンプ編集部のスタンスと著作権の壁
前述の通り、指摘される元ネタの多くが同じ週刊少年ジャンプの掲載作品である点は、非常に大きな要因と考えられます。編集部内では、過去のヒット作が後進の作家に与える影響を当然のこととして認識しており、リスペクトの範疇と判断される表現に対しては、比較的寛容なスタンスを取っている可能性があります。
また、法的な観点から見ると、著作権は具体的な「表現」を保護するものであり、設定や作風、キャラクターの役割といった抽象的な「アイデア」は保護の対象になりません。「主人公の師匠が目隠しをした最強キャラ」というアイデアは誰でも使えますが、そのセリフや登場シーンの演出まで酷似していると問題になります。『呪術廻戦』のケースは、このアイデアと表現のグレーゾーンに位置するものが多く、法的に「著作権侵害」と断定することが極めて難しいため、当事者からの申し立てがない限り、問題化しにくいという事情もあります。
作者が公言する他作品へのリスペクト
『呪術廻戦』における類似性の議論で、擁護派の大きな拠り所となっているのが、作者・芥見下々先生自身のオープンな姿勢です。先生は様々なメディアでのインタビューや、単行本のおまけページ、公式ファンブックなどで、自身が影響を受けた作品について隠すことなく語っています。
例えば、公式ファンブックにおいて、影響を受けた作家として冨樫義博先生、久保帯人先生、岸本斉史先生、村田雄介先生といった錚々たる名前を挙げています。そして、それぞれの作家のどこに魅力を感じているかを具体的に語っています。例えば、「冨樫先生の理屈っぽいところが好き」「久保先生の言葉選びの詩的なセンスは唯一無二」といったコメントからは、単なるファン心理を超えた、作り手としての深い分析と尊敬の念がうかがえます。
このように、作者自らがリスペクトの対象を明確にすることで、作中の類似表現は「盗用」ではなく、偉大な先人たちへの敬意を込めた「オマージュ」なのだと、読者が前向きに解釈する余地が生まれます。もし先生がこれらの影響関係について沈黙を貫いていれば、パクリだという批判は今以上に強まっていたかもしれません。作者の誠実な姿勢が、作品を守る一つの盾となっているのです。
他の漫画家から寄せられたコメント
『呪術廻戦』のオマージュ問題は、読者やファンだけでなく、同業者であるプロの漫画家たちの間でも様々な見方をされています。その反応は一つではなく、肯定的なものから批判的なものまで幅広く存在します。
肯定的な反応として最も有名なのが、前述した『BLEACH』の作者・久保帯人先生のエピソードです。芥見先生との対談の場で、芥見先生が「BLEACHから多大な影響を受けました」と敬意を表した際、久保先生は「いや、君の作品はどちらかと言えばHUNTER×HUNTERの冨樫さんからの影響の方が強いだろう」と、笑顔でツッコミを入れたと伝えられています。このエピソードからは、作家同士がお互いの作風や影響関係を理解した上で、それを一種のコミュニケーションとして楽しんでいる、大人の関係性が垣間見えます。業界のトップランナーたちは、影響関係をポジティブに捉えている場合が多いようです。
その一方で、先述の片岡人生先生のように、プロの視点から見て倫理的に問題があると指摘する声も確かに存在します。特に、許諾を得る前の類似表現の使用に関しては、厳しい目が向けられる傾向にあります。
これらの事例から分かるのは、漫画業界全体として「オマージュとパクリの境界線」に、絶対的なルールが存在するわけではないということです。最終的には、個々の作家が持つ倫理観や美学、そして当事者間の関係性によって、その都度判断が下されているのが実情だと言えるでしょう。
総括:呪術廻戦のオマージュが多すぎ問題
- 呪術廻戦には過去の様々な作品との類似点が多数指摘されている
- ネット上では「オマージュ」という好意的な意見と「パクリ」という批判的な意見が混在する
- 主な元ネタとして名前が挙がるのはBLEACHやHUNTER×HUNTERといったジャンプ作品
- 戦闘シーンの構図からキャラクターの決め台詞、能力設定に至るまで幅広い類似点が指摘されている
- 作者の芥見下々先生自身も数々の作家や作品からの影響を公言している
- 新世紀エヴァンゲリオンのように作者公認の明確なオマージュも作中に存在する
- 伊藤潤二氏の『うずまき』の表現は後に作者本人の許諾を得て正式なものとなった
- 元ネタとされる作品のファンからは「安易な模倣だ」といった厳しい批判の声もある
- 片岡人生先生のように同業者から苦言が呈されたケースも存在する
- 多くの元ネタが同じジャンプ作品であるため編集部が許容している可能性が高い
- 「師弟関係」「ライバル関係」など漫画表現として定着した「あるある」も多い
- 抽象的なアイデアは著作権の保護対象外であり法的に黒と断定するのは困難
- オマージュかパクリかの最終的な判断は作家同士の関係性に委ねられる部分が大きい
- こうした数々の議論がありながらも作品は記録的な大ヒットを続けている
- 多くの読者は類似点を認識しつつも作品自体の面白さやキャラクターの魅力を高く評価している
- 最終的にこれらの表現をどう受け止めるかは個々の読者の価値観に委ねられている